偉人が歩いたまち、熊本 vol.4|国を動かし、人々を支えた2人のイギリス人女性たち、リデルとライトが歩んだ情熱と献身の物語

偉人が歩いたまち、熊本 vol.4|国を動かし、人々を支えた2人のイギリス人女性たち、リデルとライトが歩んだ情熱と献身の物語

歴史の教科書ではほとんど語られませんが、熊本から日本を変えた2人の女性がいました。それがハンナ・リデルとエダ・ハンナ・ライト。
彼女たちが生涯をかけて取り組んだのは、差別と恐怖にさらされていた「ハンセン病患者の救済」でした。

今回訪れるのは、そんな2人の生き様や信念を今に伝える「リデル、ライト両女史記念館」。

ここには、日本の近代史に大きな影響を与えた知られざる物語が息づいています。

ハンセン病患者とともに歩み、人々に希望を届けたイギリス人女性たち。その足跡たどる「リデル、ライト両女史記念館」

リデルとライト

キリスト教宣教師として熊本にやってきたハンナ・リデルエダ・ハンナ・ライト。熊本にやってきたイギリス出身の2人の女性は、静かな使命感と大きな愛をもって、日本の近代史に深い足跡を残しました。

まず、初めにこの2人について簡単に説明します。

【ハンナ・リデル】

・出身地:ロンドン

・生年月日:1855年10月17日

・死亡年月日:1932年2月3日(享年76歳)

35歳で英国国教会の宣教師として熊本の地を訪れる。「熊本回春病院」を創設し、当時不治の病とされていたハンセン病患者の救済に生涯を捧げた。

【エダ・ハンナ・ライト】

・出身地:ロンドン

・生年月日:1870年2月13日

・死亡年月日:1950年2月26日(享年80歳)

リデルの姪で、回春病院2代目院長を務める。小柄で清楚な姿から、患者たちに「スミレの花」と呼ばれ親しまれた。

叔母と姪の関係である、リデルとライト。2人は生涯をかけてハンセン病患者とともに歩み続けました。

 

ハンセン病と熱心に向き合った彼女たち

1891年(明治24年)、熊本にやってきたリデルは、桜並木の下にうずくまるハンセン病患者たちを目にし、「この人たちとともに生きよう」と患者たちの救済を決意しました。

当時はまだ公的な救済機関はなく、人々は恐怖や差別から患者を遠ざけていた時代。そんな中、リデルは同じ船で来日した宣教師グレイス・ノットと協力し、1895年(明治28年)に「熊本回春病院」を設立。翌年にはライトも加わり、活動はさらに広がっていきました。

そして、リデルの情熱的な活動は国をも動かします。日露戦争の影響で英国からの送金が滞ると、リデルは「ハンセン病患者の救済は国家の責務」として大隈重信に援助を求めました。

その働きかけは実を結び、寄付金の提供に加え、1907年(明治40年)には「予防法案」が正式に決定されました。

2人の活動は高く評価され、公益に尽くした人々へ授与される藍綬褒章を受章。リデルらは患者たちを「私の子供たち」と呼び、患者たちも彼女たちを「母上」と慕いました。病を理由に社会から追われた人々を、家族のように受け入れ、献身的に支え続けたのです。

しかし戦時下では、外国人というだけで差別や疑いの目を向けられることもありました。1940年、ライトは理由のないスパイ容疑をかけられ監視され、翌年には受章したばかりにもかかわらず強制退去を命じられました。

一方で、当時の皇太后から電報を受け取っていたこともあり、その電報を見せると周囲の態度が一変した、というエピソードも残っています。

この出来事は、時代の厳しさとともに、彼女たちがいかに信頼されていたかを物語っていますね。

 

時代を感じる小物たち

彼女たちの持ち物を目にすると、当時の日本ではまだ珍しかった西洋文化の香りが漂って来ます。

リデルの宝石箱に収められたブローチや時計は、社交の場を華やかに彩った品々。

和装のかんざしや帯留めとは異なるきらびやかさは、日本人にとってまさに「異国の輝き」として映ったことでしょう。

また、ライトの深緑の帽子は、落ち着いた色合いで、気品に満ちています。

さらに、愛犬国家で知られるイギリス出身の彼女たちは、犬をモチーフにした雑貨や装飾品を持っていました。犬の絵柄があしらわれたレターセットもとてもかわいらしく、西洋の文化を感じられます。

そして最後に目を引くのが、旅をともにした大きなトランク。重厚なその姿は、海を越え、人生を歩み続けた2人の記憶を今に伝えているようです。

 

今も熊本に眠る彼女たち

今回訪れた「リデル、ライト両女史記念館」は、一般公開されている貴重な施設です。

ハンセン病や2人の足跡を知るだけでなく、西洋建築の趣ある美しさも味わうことができます。

敷地内にはチャペルがあり、結婚式追悼の祈りが行われる神聖な場でもあります。

入口上部には、リデル(椅子に座っている方)、ライト(立っている方)、ノット(床に座っている方)の3人の写真が飾ってありました。ここでもリデルは犬を膝に乗せており、愛犬家の一面が見えますね。

そして今もなお、リデルとライトは患者たちと共に敷地内の納骨堂で静かに眠っています。

戦後、ライトが日本に戻ろうとした際、滞在先のオーストラリア政府からは「危険だ、命を落とすかもしれない」と止められました。

しかし彼女は「私の子供たちに会いたい」と願い、その思いを胸に熊本へ戻り、最期まで患者たちと同じ地で生き、眠ることを選びました。

 

最後に

ここでちょっとした小話ですが、前回の記事で紹介した夏目漱石と熊本回春病院の草創期を築いたグレイス・ノットの母は同じ船にのっていたことがあり、暇を持て余していたノットの母は、漱石をアフタヌーンティーに誘ったそうです。なんともおしゃれなエピソードですよね。

記念館では、ハープの演奏会綺麗な黄色のバラが咲いたりと華やかなイベントが開催されていますので、気になる方はぜひ公式ホームページを確認してみてください。

リデル、ライト、ノットの3人が生涯をかけて守り続けた歴史が今も息づくこの場所。

もっとハンセン病について知りたい、彼女たちの生涯を学びたい、当時の暮らしを伝える展示品を見たい方は、ぜひ「リデル、ライト両女史記念館」を訪れてみてはいかがでしょうか。

INFORMATION

店名:

リデル、ライト両女史記念館

住所:

熊本市中央区黒髪5丁目23-1

電話番号:

096-343-0489

営業時間:

9:30~16:30

定休日:

月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始

一人当たりの予算:

無料

※記事内の情報は記事執筆時点のものです。正確な情報とは異なる可能性がございますので、最新の情報は直接店舗にお問い合わせください。